キンコン西野が5年前にツイッターを辞めた理由【Voicy文字起こし/西野亮廣エンタメ研究所 】

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ボイスメディアVoicyの「西野亮廣エンタメ研究所」チャンネルの文字起こしメモをしています。ほぼ写経のような感じでやっています。書き損じはご愛嬌で。

ツイッターから情報を仕入れていたら、どう考えたって負ける。

今日はキングコング西野亮廣が5年前にツイッターをやめた理由というテーマでお話ししたいと思います。

8月の時にいましたが5年前に Twitter を僕はやめました。

アカウント残ってるんですけれども、もう何かつぶやいたりとかしてなくて。だいたいそこでリツイートしたりだとか、何か調べ物したりとかする程度にしか使っていないという感じです。

なぜ Twitter をやめたのか。まずこれ前提からお話ししたいんですけども、基本的にはその価値というものがあるじゃないですか。

その価値の正体って何

希少性であるとよく言われていることなんですけども、ダイヤモンドに価値があるのは、ダイヤモンドが美しいからではなくて、美しい上に数が少ないからであると。

ダイヤモンドがその辺の道端に当たり前のように転がっていたら、たとえそれがすごく美しかったとしても、価値はありませんっていう話ですね。人同じようなもんです。

世界中の人が暗算が得意だったら、暗算できる人がもてはやされる事はありません。

電卓が生まれて世界中の人が飯山のような真似ができるになったので、暗算ができる人って何ももてはやされなくなったと偽証すごいたよっていう話ですね。

このことを踏まえ お話ししたいんですけども、例えば今回のコロナウイルス関連で言うと、厚生労働副大臣だったかな、副大臣による清潔ルートと不潔ルートのツイートあったじゃないですか。

ゾーニング額のであのツイートが回ってきた時に不潔ルートとは何だとかこんなもんのでウイルスのゾーンが分けられるはずがないじゃないか」ってつぶやきたくなった方や実際つぶやいた人って少なくないと思う。

もう早起きするとツイートを誰が一番うまく切れるかっていう競争に入っていて、そこでうまく切ることができたらいいねをもらったりだとかシェアされたりすると。

今回のツイート大賞は、多分それに関してはなんだろなどれが一番有名だったかな。ま内部告発お疲れ様ですとかそういった事を皆さんやられたとね。

それでも自分の承認欲求が満たされたりするということですね。

うまく切ったことによってそこでいいねもらったりとかシェアされたことによって。

これに関してねと声をあげなくちゃいけないって言う正義はあると思うんですよ。

あの使命感というかでもどうですかね、もう自分つぶやく頃には既にこれは上がってませんでした?すでにネットニュースになっていたし、厚生労働副大臣は焦ってそのツイートを取り消していたし、まもなくテレビが取り扱う雰囲気にもなっていると。

そうこれこれよくないけどその政治家ですねすでにも大きな川になっていて、ここからね自分のコメント、もっと言うとこの大きな流れに乗ったコメントたしたところで世界には何の影響も与えないのに、それでもつぶやいてしまう。

もっと言うと呟く事を我慢できない。

こうなってくると 自分のために正義を振りかざしている自分の承認は自分が気持ちよくなりたいがためにこの正義を振りかざしている可能性すら出てきますという話です。

僕たちはここで整理しないといけないと思うんですが、インターネットっていうものによってミリ単位で情報が共有され、みんなのタイムラインには大体同じ情報が流れて、概ね同じ感情抱いて同じようなリアクションをとること我慢できないでいる僕たちは。

インターネットによって多様性が生まれたっていうのは妄想で、人間はインターネットによって画一化されたっていうのが僕の見立てですね。

もし本当に隠されたのであればそのことはわかってる人間からするとこれほどいい子じゃなくてみんなが同じ所に集まってくれると皆がいない場所が広くなるあくっていうことですね。

ここは自覚を持っていれば、すごい簡単。

説得力を持って語れる具体例を挙げた方が分かりやすいと思うのであげると、それこそ10年くらい前にひな壇を止めた時なんかまさにそうだったかもしれないですね。

当時は「芸人かくあるべし」の空気がとってもとっても強くてひな壇に出ないっていう判断をしただけで魔女狩りに合う始末ですね。

これちょっと以上で今になって冷静になって&騎乗だなっても多分分かっていただけると思うけど、当日のめちゃイケ手動でやった年のですね27時間テレビで芸人大集合みたいな企画があって行かなかったんですよ。別の仕事入れちゃっていたんで。

そして当日ですね、僕のタイムラインになぜか僕が出ていない27時間テレビに関するコメントがあって流れ 来るんですね。

何事かと思って添付された動画を見たら、その芸人大集合の企画に出ている芸人さん達が「西野!お前もひな壇出ろよ!」ってこう画面を開いているんですね。本当に僕結構とどうして強いとかそういうんじゃなくてシンプルにも気持ち悪いと思ったんだね。

そのみんなやってるんだからあんたもやりなさいよってもこれ中学生女子の仕事だなと思って。

彼らはあの瞬間「あぁそういう人もいるのね」とか「ひな壇に出ないって言う算数もあるの」で片付けていない奴の事なんか適当に無視して自分達が作り出す面白いに集中することができなかった。

その中心に大好きなナイナイの岡村さんがいたから僕は失望して怒りに変わって岡村ってメール送っちゃったんですけれども。

それは非常に未熟極まりないなーと思ったまあ今はもう別にあるんですよ若いしてるで何の問題もないすよ。あの当時実際にそういうことがあったっていうことですね。

似たような事例は結構あって同時に仲間と混んでたらほんとオリエンタルラジオの話だって、そのうち一人の芸人があいつらは M 1にてないから駄目だみたいなこと言い出して「え、サラリーマンすぎる」と思って気持ち悪って言おうとしたら参りの件にもそうだそうだとなって見つから頃よって m 1似てる芸人も行っていい子でない芸人もいていいしむしろ嫌いになれば出るという女性を選んだやつ持ってないっていう挑戦を選んだやつのことも応援してるよって話じゃないですか。

でもそれを許さない。

入ってきてる情報が同じだから環状まで共有されてしまっている芸人っていう自分の個性を売りにしている人達ですら、この有様です。

無意識のうちに右に倣えなってしまってる。おそらくこれは意思でどうこうできるレベルじゃないっていうのが今日の結論ですね。

まずは希少性だと。

人と違うスタンスを取るのであればアプローチをするのであれば、大元のpってくる情報を変えなくちゃいけない 入ってくる情報を変えない限りあなたの感情他の皆と同じようなものにしやがってしまってアプローチも似たようなものになってしまった。

レッドオーシャンで超絶レッドオーシャンももうこれ黒色ちゃうかっていうぐらいのこいこい赤弓で戦う羽目になってしまう。

それが嫌なので Twitter をやめました。

僕は情報源を変えるということですね。でそのまあこんなこともほぼ言われてることですが芸能人の不倫ごときに捧げてしまった感情だとかさ下げてしまった時間なんて半年後には全く無駄になってしまって。

だってもう誰も言ってないじゃないスキーの不倫とかベッキーのとゲスの極みに対してはお一人もいないじゃないですか。

でもそこに咲いた今何なのって話だって良くない許せないと今もそこに昔になってしまって、その瞬間そういった事柄に感情や時間を捧げた人と無茶苦茶さが開いてしまうっていう話ですね。

今流れてくる情報っていうのはだいたいその昼食を作り出すものであるということで今日の生理なんすけどここは捉えておいた方がいいかもしんない。

僕らは Twitter から情報を仕入れてるわけではなくて、Twitter から肝臓仕入れて 感情入れちゃってるからアプローチが似たようなものになってしまっているよっていう話ですね。

仕入先は変えた方がいいと思いますっていうお話でした。

それではまた明日

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