「目的」と「手段」の区別がつかない人との向き合い方【Voicy文字起こし/西野亮廣エンタメ研究所 】

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ボイスメディアVoicyの「西野亮廣エンタメ研究所」チャンネルの文字起こしメモをしています。ほぼ写経のような感じでやっています。書き損じはご愛嬌で。

 

キングコングの西野亮廣ですお笑い芸人この放送はゆうじさんの提供でお送りします小倉さんどうもありがとうございますさて今日のテーマですね目的と手段の区別がつかない人との付き合い方というお話をしたいと思いますえっとですね魔法で集団って言うとですねなんだかなこの想い入れがないとか体温がないって言った感じでこのトライな言葉のように取れてしまう方がいらっしゃると思うんですけれども集団っていうのはそういうことでは一切なくて太陽の有無とか関係なくてですねそうだな目的が毎日ご飯を食べるだったらその時の集団っていうのは和食だったらおはしだし洋食だったらナイフとフォークだしスープだったらスプーンといった感じですね別にそこドライとかそういうことではないということです冷凍庫のご飯を食べるっていうことに関しては皆

なんとなく目的と手段の罪は気が付いていて昨日お箸使ってたのに今日はフォーク使っとるやないかいとは言わないじゃないか食べてるものが違うからそりゃそうだよねっていう整理がつくと例えばこれがですねお菓子となってきてるなと思うのがそうだなキングコング西野の目的は一人でも多くの人を楽しませたいであるのでそのための手段が最初は漫才であったりその後はテレビになってその次は絵本になってゲストの次は映画とかは未だと舞台とかする等の個展に来てくださったお客さんを楽しませようと思ったら漫才という手段では無理ですから絵本という手段を選びませんだって僕の目的は一人でも多くの人を楽しませたい絵本という手段を選ぶんですがその時に何を絵本書いてるんだ神を思い出せ

お前漫才やってたじゃないか死ん思い出せ言っちゃう人がいるうちにかかるんですけどこれはですね手段が目的化している典型的なパターンで人を楽しませたくて漫才を選んだはずなのにいつからか漫才をすることが正解でそれ以外はアウトでビデオしてしまうあの日名田に出ろよとかもそうかもしんないしね何のためにひな壇七段のためのひな壇の人を楽しませるためのひな壇じゃないと言うけれども肌に出ることが目的になってしまってひな壇に出ない人はもアウトだって知ってしまうという。この手段が目的化してしまうっていうどうしてこいったイージーミスが起きるのかなーって考えた時に実際ですねその手段が目的化しても乗り切れた時代があったっていうのが結構効いてますね

うちの親世代とはそうなんですけども仕事は来ないのかなでも仕事はどこかベルトコンベア的で

そこで正解があって用意された問題を解き続ければ本当にみんなも自分も幸せにすることはできた世代ですね。

彼らはそもそもこの問題8集団は合っているのかっていうことってなあまり考えなくては他の世代って何考えなくても定年まで勤め上げる降ってきて家族はを食わせることができたでも今はそうじゃないですよねそれは例えばメルマガもあってノートもあって有益な情報はネットに転がりまくっている中、紙の本ってな昔ほど売れなくなっていると。こうなってくると紙の本を届ける際の広告手段はあっているのかとか、そもそも紙の本のビジネスも合ってるのかっていう。その手段を疑うことから始めなきゃいけない。今はどちらかというと手段が目的化してしまうと失業しちゃうかもしれない時代じゃないですか。だね僕なんかちょうどその狭間に許せないなんですが上と下を見た時にね手段を目的化しても生き延びれた世代と手段を目的化してしまったら死ぬ世代の魔裟斗ってのがハンパねぇなと思ってこれに対してねだからと言って、僕は上の世代の方に対して老害とかいうのはあんまり好きじゃなくて、そっちはそっちの正義あるしなぁと思って。僕もその時代に生まれていたらそうだったかもしれないし場合によっちゃねあの手段の目的化が正解の場合だってあるじゃないですか例えばバーベキューとか美味しい肉を食べるためにやりていたはずなのにその過程で肉が焦げちゃってもゲラゲラ笑っちゃってるみたいな。この時食べることよりも焼くことが目的になっちゃってる。なので一概にね、手段の目的化が間違いだとか思わない。やっぱそれはケースバイケースでいい時と場合によるよね。でもなるべくならば彼に会いたいんじゃないか

自分達とちょっと違うしそうな人でここからは下の世代の集まり手段を目的化したら死ぬ世代の方へのメッセージなんですが、多分時代の流れに合わせて知らんをコロコロ変えることは成長戦略としては後でいいん正しいと思うんですが、そうするとですね、きっと手段を目的化しても生き延びれた世代の人達及びそのイズムを受け継いでしまってる人たちから批判されると思うんですね。その時に「いやそんなことしてたら死ぬんだってとかその考えても持たないんだって」というのもねっていう説明したくなる説得したくなる気持ちっていうのがあると思うんですけども、基本ですね、基本ですよ、多くの場合ですね、説明で理解してもらうことは無理だと考えておいたほうがいいと思います

これは僕自身の体験なんですが「今はこういう時代だからこういうことして行った方がいいと思いますよ」みたいな説明をずっとしてたんだけど、誰も耳を傾けてくれなかった

で、なんとなくも皆さんがありますね。誰も耳を傾けてくれなくて「あいつ痛い」とか「炎上芸人だ」とかいう感じでもうこの国は何でも扱われて結局国民の皆さん及び同業者もですね、どこのタイミングで耳を傾けてくれたかと言うと数字ですね。「なんか西野のビジネス書は今むちゃくちゃ売れてるらしい」とか「どうやら西野の年収は何億円もあるらしい」みたいな

これに対してはちょっと汚い言葉になっちゃうんだけど僕は本当にくだらないと思っていて。だって、それって面白いに反応してるんじゃなくて儲けるとかに反応しちゃったじゃんすか。でも芸人の目的って面白いなはずじゃないと本来は。「広告費から卒業して足を洗ってダイレクト課金で生きてみたらどういう人生がどういうアクションが待っているんだろうちょっと面白そうだなやってみよう」っていうのが俺にだったはずなんだけれども「儲けなしでやってみよう」っていうのは思うところはあるんですけどちょっとあるんだけど。でも、現実問題を多くの人は数字にしか聞き耳を立てていない。数字しか信用していない。

だから結論数字を残すしか未来を切り開く方法はないといったところですかね。説明でどうにかしようとしても、無駄で分かり合うためには、数字で結果を出さなきゃいけないっていうマッチョな結論ですね。もっと言うと、とっとと数字で結果を出してあげて彼らの疑問を晴らしてあげることが最大の和解だと思う。でもボクはやっちゃってたからそば反省なんですが、説明に逃げて駄目だ。っていうことですね。わかりあおうと思ったら数字で結果を出すのが一番優しい手段だと思います。

というわけで今朝は

の区別がつかない人との付き合い方というテーマでお話しさせていただきましたそれでは素敵な1日をお過ごし下さいキングコング西野亮廣でした

 

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