「信用」の取り扱い方について【Voicy文字起こし/西野亮廣エンタメ研究所 】

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ボイスメディアVoicyの「西野亮廣エンタメ研究所」チャンネルの文字起こしメモをしています。ほぼ写経のような感じでやっています。書き損じはご愛嬌で。

 

理屈が通らない場合がある

今日は信用の取り扱い方についてというテーマでお話ししたいと思います。

めちゃくちゃ勉強になった事があったので共有したいと思います。

影響力ってお金に変わるから、影響力を特にやっぱり慎重に扱わなきゃいけないと思っていて、そう考えた時に吉本興業もやってるから大声で言いにくいんですけど、インフルエンサーマーケティングっていうのは本質的じゃないなと思っています。

お金さえ払えば商品をお勧めするインフルエンサーに何の信用があるんだよって話で。

とまるまる円払ってくれれば、うちのインフルエンサーに宣伝させますというビジネスは、影響力を削っていく作業だからは長持ちしないんじゃないかなって思っているんですね。

そんな中ですね、僕キングコングの西野亮廣っていうのはガチンコインフルエンサーで。

例えば、ブログで「この本面白かったよって書こうものなら、その本はやっぱ Amazon ランキング1位ぐらい取っちゃうんですね。

だから、僕は自分の影響力っていうものをめちゃくちゃ慎重に扱っていますと。

簡単に「これは良かったよ」って言えないっていうところですね。 だって、みんながそこに時間とお金を払っちゃうから。

だから、これ以上に慎重には着かなきゃいけないなと思っていて、それは自分が携わらせてもらっているプロジェクトも然りで、自分が携わっているからといって手放しでおすすめしてはいけないと思うんですね。

 

舞台えんとつ町のプペル THE STAGE

 

僕が原作・脚本を担当させていただいた、先日終わりました舞台えんとつ町のプペル THE STAGEもそうで。

 

あの初日の神戸公演(つまり完成したもの)を見終わった時にですね、稽古では見させてもらったやつから、完成したものを見させてもらって、稽古で見たのは衣装もセットもできていないし、みたいな。セリフもようやく台本を離した頃のを見させてもらっていて、完成したものを見たのはその公演の初日なんですね。

 

それ見終わった後に個人的にはね、すごくいいなと思った箇所と、役者さんとかほんと最高なんですけど「すっごくいいな」と思った箇所と

「ここは改善点だなと思った」箇所がありましてお客さんとしね と思った部分をさせてもらうと、そのAのことを包み隠して「最高でした!」って感想をつぶやいてしまう、お勧めしちゃうのは僕これ詐欺に近い行為だと思っているんで、

 

オンラインサロン内で「僕は A に関しては思うところがありましたが、それ以外は最高でした。」っていうことは正直に言ったんですね。

自分が携わらせてもらっているプロジェクトだし、そこに汗が流れていることは予想できるので、正直にそういった形で批評するってのは、なかなか覚悟のいることなんですけども、やっぱりそこは隠すべきではないし。

 

そもそもディスっているとかじゃなくて、改善点を洗い出す作業だから、前向きな議論だと思うんですね。

ここあんと思いますみたいなことでもちろん初日の公演観劇後にAに関しては、ちょっと 思うところがありましたっていうお客さんとしての一意見感想ですね。運営さんにもお伝えさせて頂いたんですね。

 

それは僕が引っかかった部分に関しては、やっぱりお客さんと思ったようで、サロン内でもちょこちょこあったんですね。

基本的にはその逆に良かったですっていう声です。だけど「ん?」って言う僕は持ったAについて「私もそれはどうかなと思いました」っていう声があったそういう声があるのはすごくいいですね。

 

そういう意見が言えなくなる空間の方が絶対できるまずいと思っていて。だから僕も言っていいですよっていう雰囲気を作るために自分から率先して言ったんですね。

 

で確かにおっしゃる通り 、A は最悪でした。あそこは改善した方がいいですね。一方で」って意見をくださる方もいたのですが、中には「Aが酷かった!」っていう不満を僕に売ってる方がいらっしゃって。

 

混ざる不満

 

それはやっぱ文面見ていると、明らかに感想意見の類じゃなくて不満の類だったんですね。

ちょっと、これ本当にこの不満を抱えているなっていう感じだったんです。

 

僕からすると「いや、だから事前に A はひどいよって言ってたじゃん」っていうことと、何よりAに対するクレームを僕に言われてもなぁっていう気持ちがあったんですね。

 

映画えんとつ町のプペルはですね、僕は製作総指揮つまり、全ての責任を持つ立場にあるんですね。

今日もこの後アフレコ、キャラクターの動きのチェックがあって、音楽のチェックもしなきゃいけないみたいな。

 

音楽が悪かったら僕のせいだし、キャスティングが悪かったら僕のせいだし、当然僕が脚本も書いてるからあのストーリーがひどかったら全て僕のせい。

 

なんだったら洗濯槽式なんだよね。舞台えんとつ町のプペルは強く打ってた違って、僕はあくまで原作・脚本担当なので、原作・脚本以外の素敵には取れないんですね。

 

でもコメント欄を見ていたら、Aがひどかったっていう不満があったし、他にもですね

 

3階席の手すりが邪魔で見にくかったとか、 A 席 B 席が同じ値段てどういうことなんですか。みたいなという劇場の構造だとか券売方法に関しての不満もあったんですね

 

でもう一度言いますが、責任逃れしてるとかじゃなくて、原作・脚本の僕にそれを言われてもなぁっていう気持ちはあるんですね。

東野圭吾さん原作の映画の挿入歌に対するクレームだとか。

映画館スタッフの接客と態度に対するクレームをこれは一感想です!っていう形で東野圭吾さんに言っているような感じですね。

そこは責任取れないんだよなーっていうのが原作者の本音で、

 

そこの責任が取れないから僕はお客さんとして見に行った時に挿入歌がイマイチでした。劇場のスタッフの態度はひどかったですよ。っていうこと事前にお伝えしたんですね。

上はあくまで例えた話ですよ。

自分でしたらきちんと正直にいい部分とすごく良い部分と悪い部分を分けてお伝えしたので、影響力の使い方を誤ったとは思えないんですね。

 

ただ現実、問題に関する不満、劇場の作りとか券売方法に対する不満が運営サイトではなくて、僕にぶつけられてる、キングコング西野に来てしまってると。これの不思議で仕方がなかったんですよ。

 

だって例えば、僕はえんとつ町のプペル光る絵本展っていう個展を自分が主催する時もあれば、他の方が主催するときもあって、他の方が主催したことに関するクレームは、当然主催者に行くんですね。

 

スタッフの態度がおかしいというクレームがまかり間違っても、原作者のキングコング西野亮廣に行くことはないと。

つまり、個展に関しては、西野が原作者、主催者は●●さんていった感じで割り切って捉えてもらっているんですが、舞台がどうやらそうなっていないと。

 

切り分けられる人切り分けられない人

 

なんでだろうと思っていた矢先、コメント欄に「西野さんはAとそれ以外を切り分けて考えているけれど、Aを切り分けて考えることはできないんです」いう声があって、なるほどなと思いました。

 

僕はプロだから「ここが癌でここ押せば健康になる」という見方をするんですが、それらを切り取って見ることができない人もいると。これすごく勇気のある正直な意見だと思いました。

 

で補填は問題箇所を切り取って考えられるけど、舞台って切り取ってみるのが少し難しいみたい で切り取ってみることができない人からすると、塩と酢は直ブルっていう作品の責任は僕に来るんだと。

 

原作・脚本とか関係ねえんだって話です。

チケット代がちょっと高いというクレームが僕が原作脚本担当であろうと、それがえんとつ町のプペルであれば僕に来ちゃうということですね。

それぐらいえんとつ町のプペルっていうのは西野の作品になっちゃっているんだっていう話です。

つまるところ、これはもう理屈が通用しない領域で、嘘をついていないのに、信用を落とす場合があるって言う話です。めちゃくちゃ勉強になりました 。

 

関係が深まれば深まるほど、クレームを言っていう行為の勇気が必要なってくるので、その時自分に責任がなくても、結果的に自分印がイメージとしてついてしまっている。

仕事に対する不満の矛先が自分に向いているということがあるので、僕もめちゃくちゃ気をつけますし、皆さんも是非気をつけてみてくださいっていうのが今日のお話でした。

 

それではまた明日

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